中国墨・和墨

中国の墨 

墨という文字は周末の戦国時代に斉の国(西紀前二二一年に滅亡・今の山東省済南付近より山東半島を支配)て鋳造した銅の貨幣てある刀形の銭に跡刻してある「節墨之宝貨」(節は即に通用)にはじめて表われる。漢時代の許慎の著てある「説文解字」の黒の字には「墨は書するなり」とあり、「火の黒ずるところの色なり」と解している。 黒の字の下の四点は火の字形からてている。 
  
墨は木炭(わが国音ではも灰もスミといって同音)や煤煙から採取され、その黒色は早くから色彩の一つとして用いられている。 殷時代(西紀前一〇二七年に亡)の遺物には墨書したものがあり、またこの時代の甲骨文字にも冊の字があるのて、簡冊には墨て文字を書いたことがわかる。周時代には文字の使用がいっそう盛んになり竹帛に墨書することが通例になった。 
しかし周時代の文献には墨の形や製作について述べたものはなく、前記の戦国時代の貨幣にの字のあるほかは、この時代に哲学者の墨子がいる。墨子は孔子と孟子の時代の中間の人物とされていて、兼愛主義の哲学者として知られている。この他には刑罰の一つとして墨刑があったという。墨刑は罪人の額に入れ墨をするのてある。このようには同時代から記録の書写や学説の書写をはじめ文字を書くあらゆるものに用いられていたのてあるが、墨の形その他についてはまったく知られていなかった。 


元来、文房四宝の筆、墨、硯、紙、いずれをとっても実用の用具でありそれぞれ消耗される運命を持っております。中でも特に墨に関してはその宿命を強くするものであり、変身してはじめて不滅の光彩を放つものである。墨に関しても改良工夫され、墨液、ねり墨などが実用化されている。

墨の異名
墨は、松煙、青松、玄香、玄泉、陳玄、客卿、鳥金、蛾緑などと称される場合がある

墨の種類
形状:円形墨、長方形墨、方形墨、角形墨、器物形墨、楕円形墨、多角形墨、人形墨、自然形墨など、鑑賞と実用両面から形と図柄、多種多様である。長方形の上に、三角形を合わせたような正八角形のものをいい、実用に手頃な大きさのものが多い。 

墨の原料
良墨を造るためにはその原料として下記のものが使用されます。
油煙煤 
油煙墨の原料として、桐油、麻子油、菜種油、大豆油、榧油などの植物油が用いられる。桐油は上質であるが、原料としては少ないために、麻子油、菜種油などが一般に用いられている。和墨では、この油煙が松煙墨より上質とされ、 年間には官用として使用されるとともに今日に反んでいる


松煙煤
松煙による墨の歴史は古く、唐墨は佳品としてる。原料については「墨経」で漢代に松を用いて造ったといわれているが、現在では中国でも油煙による墨が多い。日本は中世において「藤代墨」といわれる良墨もできている。「古今著聞集」には、後白河法皇が熊野詣の際、藤代の宿で、紀州の国司が献上した墨について、「この墨いか程のものぞ、試みよ」と大臣に命じ、唐墨したところ、その墨色の妙に、感嘆した様子が出ているが、名墨としては、その後あまり伝わっていない。ただ、現在も、松煙墨は、奈良、和歌山、高知、香川、宮崎、福島、岩手などで少量ではあるが製墨されている。 原料は、生松、古松、松根などから採煙するものである。 

膠(にかわ)
墨の主材は、煤煙と膠である。「墨経」に凡そ、墨は膠を大となす。上等の煤と、膠が法の如くならざれば、墨も亦佳ならず。如し膠法を得れば、次媒とも善墨をなす。且つ播谷(宋代の著名な墨匠)の煤は、人多く之を有せり。而して、人の墨を製すること播谷に及ぶ者なし。正に煎膠の妙にあり。といって、膠の重要なことと膠法の使用法いかんが墨の良否に影響することを説いている。膠は動物の皮、腱、鱗、軟骨などを煮熱し、その液を採取乾燥したものである。 原料としては唐墨では、鹿が最も上質とされ、次に牛、馬、鼠、犀、魚などが用いられている。和墨は、牛皮膠が上質とされ使用されている。


香料
製墨は、煤煙とでもよいわけであるが、墨色をよくし、堅さを適度にし、香気を加えて脱色や腐敗させないために、いろいろの香料、薬物を混合させている。李白の詩にも、唐墨では、麝香をはじめ、竜脳、茜根、紫草、五倍子、藤黄、白檀、黒豆皮、檜皮、真珠、水晶、瑪瑙、牛犀角、漆、粘土、硫酸銅、鶏子清、黄蓮、 虎枝、牡丹皮、鳥頭、蘇木、毛髪などいろいろなものを混ぜている。

洋煙
墨汁、ねり墨をはじめ、最近の固形墨に使用されている鉱物性油煙の原料にはカーボンブラック、軽油、重油、粗製ナフタリン、クレオソート油、ピッチなどがある。しかし墨色、凝固度には、まだ既製墨に匹敵していない 

墨の製法
松煙、油煙を膠と練り混ぜて型取りし、乾燥させる。墨工の技法によっては、墨の良否をはじめ、その発墨状態に重大な関係を持つ ものである。 製墨法については、北宋の李孝美の「墨譜」晃季一の「墨経」、何遠の「墨記」、元の陸友の「墨史」、明の 沈継孫の「墨法集要」、宋応星の「天工開物」など。日本においても、 松井元泰の「古梅園墨談」には、製墨のことが詳しくしるされている。一丁の墨にも、永い歴史と改良が加えられて今日に及んでいる。一般に使用されている油煙墨、松煙墨、鉱物性油煙墨、墨汁などの製法がある。 


【油煙墨】 
油煙墨の製法については、南唐の李廷珪が、はじめてその基を造り、実際には、宋の張遇が造ったといわれている。 唐墨では、油煙の原料として桐油をはじめ、麻子油、清油、猪油を用いているが、和墨では、麻油、菜種油、大豆油などの植物油を用いている。「古梅園墨談」には、 橙心の多少は問題でなく、むしろ橙数を少なくし、頻繁に煙を描く方が上質の保が採れる。 といっている。 

①採煙:まず、油煙墨を造るには、油煙を採取しなければならない。採煙室は二間四方、高さ一間半位の煙室の一方に、二重戸の出入り口を設け、温度の一定化と通風を防ぐようにしてある。煙室内部の三方の壁に二段の棚を設け、その上に、土製の橙油皿、百個から二百個位を等間隔に並べる。胡麻油などを 入れた燃油皿に数本の燈芯を入れ、それに点火する。炎上した煤煙は、橙油皿の上にある円形で中くぼみのある土器皿に付着するが、一箇所に付着しないように、この皿を回転させ全体に付着させたうえ採取する。この作業を怠ると煤煙は灰となるので、大切な工程の一つである。短芯の数が少ないと 時間もかかり、採煙の量も少なくなるが、良質な水煙を採るためには、芯が細く二、三本位に点火して採取した方がよい。 


②膠溶解:煤とともに、墨の原料となる膠を二重釜に入れて、長時間煮立て膠の溶液を造る。膠の溶き具合によっては、墨の良否にも大きな影響を及ぼすので墨工は苦心するところである。 

③練り固め:精選された煤と膠及び香料を混合させ、手や足でよく練り固める。この時の合料割合や練り方次第で 品質の良否が決まる。

④型入れ:よく練り混ぜたものを、文字や模様を刻して造った木型に入れる。 

⑤灰乾操:木型から取り出した墨は、まだやわらかく水分が多いが、これを木箱の中に新聞紙を敷き、木灰をかけて乾燥させる。第一日目は水分の多い灰に、二日目以後は少しずつ水分の少ない木灰に埋めかえていく。この灰乾燥は小型墨で一週間位、大型で二十日から一ヶ月、毎日くりかえし水分を取り除く。 これにより約七割の水分が取り除かれる。

⑥自然乾燥;灰乾燥を終えた墨は、ひし餅を藁で編むように一丁一丁編んで、半月から三ヶ月間位、自然乾燥させる。墨の大きさや温度の関係から十年、二十年と自然乾燥させることもある。

⑦磨き艶出し:自然乾燥を終った墨は、表面についている灰や汚を水で洗い、炭火で焙りやわらかくしてから、ハマグリの貝殻で光沢の出るまで磨く。

⑧彩色:磨かれた墨は、金泥、銀泥、その他の色を使って色付けをし、墨の完成となる。 


【松煙墨】 かつて、唐墨では、松煙墨が最良とされ、和墨では、油煙墨が良質とされていたが、今日では、ほとんど松煙墨は造られず、油煙墨が大半を占めている。 

採煙:原料である松を、無風の採煙室の籠で採取する。 松煙墨の製法も、採煙の方法は油煙墨と異なるが、膠溶解以後の工程はほとんど油煙墨と同一である。 

【鉱物性油煙墨】植物性油煙墨だけでは足りない部分を、日本では、1920年代ごろから少ない労力で多量の墨が造れるように工夫した結果、鉱物性油煙墨の採取製墨が開発され実用化してきた。 原料には、軽油、重油、クレオソート、コールタール、アンソラセンなどの鉱物油を用いている。最初、採煙は松煙墨などと同じ方法を用いていたが、最近では、機械化の発達により自動的に採煙することもできるようになった。採取した煤煙は、油煙墨製法のようにして固形墨にしたり、または墨汁としても 広く使用している。 市販されている廉価な固形墨は、ほとんどこの鉱物性油煙墨であるが、光沢、墨色などは植物性油煙墨に及ばない。

【黒汁】 墨といえば、旧態依然とした製法で一丁一丁墨工によって造られているのであるが、磨かかずに使用できる墨汁が重宝がられ使用されている。 中国においては、この歴史も古く、墨汁を「墨蓋」と称し、金壺汁、 銀壺汁などがあったが、日本におい ても近年、開明墨汁、墨の精、墨滴などが一般に普及し、多く利用されている。墨汁の製法には二種類ある。一般に墨汁は、油煙、松煙煤を使用するよりは、カーボンブラック(石炭乾留の時発生する黒色素)と液状膠を配合して造ることが多く、その一つは、「墨を硯にかけて磨り、その墨液に防腐を施したもの」であり、 他方は、「煤とを主成分とした混成液で防腐したもの」である。 

製墨の時期 
墨の製造は、年中行なわれているものではない。良墨を造るためには原料、製法はもとより製墨の時期 が大きく左右するのである。仲将は「二月、九月」が最適といい、また「古梅園墨談」は「十月、十一月、二月」がよいといっている。 いずれも寒い時期を選んでいるのは、膠が腐敗しやすい気候、気温をさけているからである。製墨においては、気候、気温が大きな比重を占めるところであり、現在、日本では、十月中旬から翌年五月頃までをその時期にあてている。 

【墨の関連用具】 墨の関連用具は、筆、硯などのように多くはないが、墨床、墨匣、墨池などがある。

墨床:墨をのせる台のことであり、「墨台」とも呼ばれている。現在では、墨床を用いている人は稀であるが、以前は多く使用されていた。その材質は、玉、木、竹、金属、陶器などがあり、精巧な彫刻のあるものが好まれた。

墨匣:これも、今では実用には用いず、専ら名墨珍蔵用として使用されている。材質は、彩色、加工を加えた紫檀、黒檀、などから布を覆って作ったものなどがある。 

墨池:墨池とは、墨汁を入れる壺のことである。材質は、陶器、石、金物などを用いており、円形や方形の壺がついている。これには賛沢な装飾を凝らされているものが多い。磨いた墨などを入れておくには便利な器であるが、最近はあまり使用されていない。 
【中国の有名な墨匠】
南唐:李超 李廷珪 李廷寛 李承浩 李承晏 李文用 李惟処 李惟一 李惟益 李仲益 李惟一 李仲宣 李文遠 耿仁 耿遂   耿文政 耿文寿 耿徳 耿盛 盛匡道 盛通 盛真 盛舟 盛信 盛浩 張谷 張処厚 朱逢 朱君徳 柴成務 徐煕 
   徐崇嗣 徐鉱 韓煕載 景煥

北宋:姜潜 王廸 潘谷 東野暉 蘇澥 晃實之 朱覲 僧清一 陳瞻 劉寧 常和 張滋 張浩 高慶和 潘衝 沈珪 陳相
   微宗 蘇子瞻 陳湘 陳己 陳和 陳顕 陳泰 陳遠 宣道 王順 斐言 郭玉 解子誠 梅鼎 関珪 潘晃 沈宴 葉谷 張居靖

南宋:蒲大韶 胡景純 載彦衝 王端 華邦憲 葉世英 葉茂実 李世英 呉滋 郭彬 陳中正 徐智常 康為章 何蓬明 張乗道   載溶 周達先 葉子震 鄭宣 謝東 潘士衝 潘士竜 胡友直 黄表之 王量 徐智常 康為章 何蓬 張乗道

金: 劉法 楊文秀

元: 朱万初 潘雲谷 胡文忠 林松泉 于材中 杜清碧 衛学古 黄脩之 丘可行 丘世英 丘南傑

宣徳:宣徳御墨 方正 卲格之

成化:成化御墨 

嘉靖:羅小華 方泳 方鳳岐 方鳳岡 汪海厓 汪南石 汪俊賢 汪懐泉 汪中山 呉玄象 卲青邱 卲青田 

隆慶:隆慶御墨

万曆:万曆御墨 汪世卿 汪汝登 汪豈凡 汪伯玉 汪伯正 汪一元 汪中嘉 汪鴻漸 汪儒仲 汪啓思 汪松庵 汪熙承 汪一陽 汪務滋    汪文憲 汪子元 汪時茂 汪二仲 汪啓思 汪俊乾 呉仲輝 呉申伯 呉汝脩 呉文伯 呉喬年 呉大年 呉玄象 呉卷石 呉廣眞 
   呉民望 呉玄 呉名望 呉叔大 呉孝甫 呉長儒 呉充甫 呉君章 呉元輔 呉德卿 呉南清 呉近山 呉肇先 呉雲卿 呉公度 
   呉君衝 呉七華 呉尤 呉伯昌 呉瑞哪 呉充 葉向栄 葉玄卿 葉環源 葉鳳池 孫瑞卿 孫玄竜 孫継州 孫玄成 程君房 程季元    程鳳池 程東里 程孟端 程君亮 程公望 程伯祥 方于魯 方湘玄 方景耀 方雲 方坦庵 方陽泉 方伯源 潘方凱 潘嘉客 潘方回    黄昌伯 黄鳳台 黄換 黄一卿 黄道周 朱一涵 朱震 朱德甫 江晴川 江文所 江中和 胡玄真 胡元貞 胡梅亭 胡君理 
   胡貞山 雲鵬 魯華山 魯声 曹仲魁 曹和初 李守泉 李鴻漸 李周生 蘇海白 蘇文元 余伯順 余双松 金玄甫 許念修 陳君亮    陳増 徐伯経 徐鳳 翁義軒 翁敬山 張少源 趙恭 鄭仲常 劉鐶 祝彦輔 劉仲卿 邵凌雲 邵及 永茂 懐梅 郭高 候承之     洪生 心田 釈円照 鐘華 祝彦輔 田弘偶 毛羽周 仲宇氏 王可泉

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