1778-1845年。
江戸時代後期の国学者。
安永7年生まれ。
本居宣長、荒木田久老に学ぶ。
本姓は大江。初名は経正。
通称は市右衛門。
号は紙魚室(しみむろ)、曙廼舎主人。
著作に「万那備能(まなびの)広道」「和歌ふるの山ふみ」など。
石川 総朋
江戸時代後期の旗本。総氏系石川家(保久石川家)6代。書家としても知られ、字を錫我・亀我、号を梧堂また知秋庵と名乗った。
貫名 海屋
江戸後期の文人書画の巨匠・儒者。徳島生。姓は吉井、名は苞、字を君茂・子善、通称は泰次郎、別号に菘翁・方竹山人・須静山人等。書は西宣行に師事して宋法を学ぶ。近世第一の能書家と称され、須静塾を開く。晩年には下鴨神社に奉仕し、諸国を遊歴した。文久3年(1863)歿、86才。
長谷川 雪旦
江戸時代後期の絵師。姓は金沢[1]、名は宗秀。通称は茂右衛門、または長之助とも称した。別号に一陽庵、嚴岳斎、岩岳斎、岳斎。息子の長谷川雪堤も絵師。「江戸名所図会」、「江戸名所花暦」の挿絵画家、或いは唐津藩・尾張藩の御用絵師として知られる。
原 在明
画家。名は近義、字は子徳、号に在明・写照。在中の次男。京都の人。画法を父に学び、また有職故実に通達した。在明以後歴代春日絵所となる。
松村 景文
日本の江戸時代後期に活躍した絵師。 本姓は源氏、名字は松村。初名は直治。景文は諱。字は士(子)藻、通称要人。号は華渓、呉春が亡くなった後は三果堂の号を継ぎ、画室の堂号とした。
市河 米庵
江戸時代後期の日本の書家、漢詩人。 名は三亥、字は孔陽、号は米庵のほかに楽斎・百筆斎・亦顛道人・小山林堂・金洞山人・金羽山人・西野子など。通称は小左衛門。
河村 文鳳
1779-1821年。 江戸後期の画家。京都生。名は亀、字は駿声(俊声)。 別号に馬声、五游、有毛、首陽館、竹裏館、白竜堂。 岸駒に師事し、人物・山水を能くする。
浦上 春琴
江戸後期の文人画家。備前生。浦上玉堂の長男。名は選、字は伯挙、通称は喜一郎、別号に睡庵・文鏡亭・二卿等。幼少より父に画を学び、父に従って各地を遊歴する。山水・花鳥に優れる。のち長崎より京都に出て、頼山陽・篠崎小竹・柏木如亭らと親交する。また書道・詩文も巧みにし、古器・書画の鑑識に秀でる。
金子 金陵
江戸後期の画家。江戸生。名は允圭、字は君璋、別号に日南亭。南蘋派を学び、のち谷文晁に師事した。花鳥・人物を能くし、渡辺崋山の師として有名。
紀 竹堂
江戸時代後期の画家。 京都の人。村上東洲にまなび,山水画,花鳥画をよくした。名は寧。字(あざな)は清夫。画集に「竹堂画譜」。
土佐 光孚
江戸後期の土佐派の画家。光貞の長子。幼名は虎若丸、字は子正、号は鶴皐。10才の時、新造内裏清涼殿の布障子に墨画名所図、仙洞御所小書院床張付小襖に花鳥を描く。絵所預・備後介・土佐守に任じられ、正四位下となる。
柴田 義董
江戸時代後期の画家。 安永9年生まれ。京都で四条派の松村月渓(げっけい)にまなぶ。人物画を得意とし,月渓門の高弟と称された。門下に前川五嶺(ごれい),大原呑舟(どんしゅう)ら。備前(岡山県)出身。字は威仲。通称は喜太郎。号は琴渚。
角田 無幻
江戸時代の書道家。名は光旒。勅伝大阿闇梨法印に叙せられた。書聖といわれた。
住吉 広尚
江戸末期の土佐派の画家。通称は内記、頑中と号する。広行の長子。画を父に学び、徳川幕府の絵師となる。画の鑑定を能くする。文政11年(1828)歿、48才。
篠崎 小竹
1781-1851年。
江戸後期の儒学者。
大坂の人。
名は弼(ひつ)。
通称は長左衛門。別号に畏堂,南豊。
篠崎三島に師事、同家の養子となり、のち、江戸で古賀精里に学んだ。
著「小竹斎詩鈔」など。
頼 山陽
1781-1832年。
江戸後期の儒学者・歴史家・漢詩人。
大坂の生まれ
。
春水の長男。名は襄(のぼる)。
字は子成。
通称を久太郎、別号に三十六峰外史。
18歳のとき江戸に出て経学・国史を学び、のち京都に上って私塾を開き、梁川星巌・大塩平八郎らと交わった。
著「日本外史」「日本政記」「山陽詩鈔」など。
宋 紫岡
江戸後期の画家。紫石の孫で紫山の子。名は林、字は玉琳、別号に雪渓・聴松堂等。祖父からの沈南蘋派の画風を能くした。嘉永3年(1850)歿、70才。
朝川 善庵
江戸時代後期の儒学者。名は鼎。字は五鼎。中根香亭の外祖父にあたる。養子として朝川同斎を迎える。
細川 林谷
江戸後期の篆刻家・画家。讃岐生。名は潔、通称は春平のち俊平、別号に又林道人・白髪小児等がある。篆刻を阿部良山に学び、のちその大家となる。また詩画を能くし、山水・墨竹を得意とする。
鈴木 蠣潭
江戸時代後期の武士,画家。 天明2年生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩士。藩主酒井忠以(ただざね)の弟酒井抱一(ほういつ)の付き人となる。抱一に画をまなび,人物草花を得意とした。文化14年6月25日死去。36歳。名は規民。通称は藤兵衛,藤之進。
広瀬 淡窓
江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人でもあった。豊後国日田の人。淡窓は号である。通称は寅之助のちに求馬(もとめ)。諱は建。字は廉卿あるいは子基。当初の号は別号は青渓。死後、弟子たちにより文玄先生とおくり名されたという。末弟に広瀬旭荘、弟・広瀬久兵衛の子孫に、日田市長、衆議院議員だった広瀬正雄、その子息の広瀬勝貞は現大分県知事。
鏑木 雲潭
江戸時代後期の南画家。名は祥胤、字は三吉。雲潭・實齋・當左生と号した。通称は祥蔵。 市河寛斎の次男として生まれる。市河米庵は実兄。江戸の生まれ。 画を谷文晁に学び、大村藩御用絵師・鏑木梅渓の養嗣子となり自身も絵師として大村藩に仕える。文化年間には藩主大村純昌の命を受けて大村城下に赴任している。山水画・花鳥画を得意とした。子の梅亭・雲洞も画家。子の渓庵は明清楽の演奏家となっている。門弟に佐久間雲窓がいる。
岡田 半江
江戸時代後期の文人画家。岡田米山人の子。大坂の出身幼名を常吉、諱は粛、字を士羽。半江は画号。 俗称を卯左衛門、のちに吉継。