江戸時代後期の文人画家。名古屋の生まれで、尾張南画の代表的画家。本名を亮、諱は親亮、字を明卿。卯年生まれに因み、通称を卯年吉(うねきち)。画号は春園・竹厳・梅佚、のちに梅逸とした。別号に梅華道人・玉禅・天道外史・葵園・友竹艸居・白梅居など。
小石 元瑞
1784-1849年。 江戸後期の蘭医。元俊の子。 名は龍。号檉園(ていえん)。 京都の人。 杉田玄白、大槻玄沢らに学び、京都で究理堂を継いで名声を得る。
菅井 梅関
江戸時代後期の文人画家。菊田伊洲・東東洋・小池曲江とともに仙台四大画家と称揚される。 名は岳・智義、字を岳輔・正卿、号ははじめ東斎としたが梅館・梅関に改めた。奥州仙台の生まれ。
遠藤 広実
天明4年江戸生まれ。遠藤広古の子。幼名は古致、通称は伴助。父と同じく江戸の住吉派五代・住吉広行に学び、のちに松山藩の絵師になった。広実の作品は愛媛県内に比較的多く残されている。文久2年、79歳で死去した。
荒木 寛快
江戸時代後期の画家。 天明5年生まれ。江戸の人。荒木寛一・寛畝(かんぽ)の養父。片桐桐隠(とういん)の門人で,美人画を得意とした。大西圭斎(けいさい),渡辺崋山(かざん),桜間青涯(さくらま-せいがい)らと親交があった。安政7年1月9日死去。76歳。名は季舜。字(あざな)は挙公。通称は弥次右衛門。別号に達庵,蓬生。
足代 弘訓
江戸後期の歌人・国学者。伊勢外宮の神官。 号は寛居。晩年に尊王を説き、古典の類聚編纂に努めた。 歌集に「海士の囀」がある。
小田 海僊
江戸時代後期の日本の南画家。通称は良平、名は羸(るい)または瀛(えい)。字を巨海、号は海僊または百谷。 清楚な画風に特徴があり、山水画・花鳥画・人物画を得意とした。高野山や京都御所の障壁画(1855年)などの大事業を手掛けている。
桜間 青涯
天明6年生まれ。三河岡崎藩主本多忠顕の家臣。渡辺崋山(かざん)の弟子で,花鳥山水画を得意とした。椿椿山(つばきちんざん)らと親交があった。名は咸。別号に迂亭。
立原 杏所
江戸時代中期から後期にかけての武士、南画家。水戸藩7代藩主・徳川治紀、8代・藩主斉脩、9代藩主・斉昭の3代に仕える。本姓は平氏。諱は任。字は子遠。甚太郎のち任太郎とも。東軒、玉琤舎、香案小吏、杏所と号した。
板谷 広隆
江戸時代後期の画家。 天明6年生まれ。大和絵住吉派の板谷家3代。父広長(板谷家2代)にまなび,幕府御用絵師をつとめた。法眼(ほうげん)となった。天保2年5月30日死去。46歳。号は桂舟。
江馬 細香
江戸時代の女性漢詩人、画家。 美濃大垣藩の医師江馬蘭斎の長女として生まれる。本名は多保。少女の頃から漢詩・南画に才能を示し、絵を玉潾・浦上春琴に、漢詩を頼山陽に師事する。湘夢・箕山と号すが、字の細香で知られ、同郷の梁川紅蘭と併称された。
菊池 容斎
幕末から明治時代初期にかけての絵師。旧姓は河原。本名は量平または武保、別号に雲水无尽庵など。『前賢故実』の作者として広く知られている。
古賀 侗庵
江戸時代後期の漢学者。本姓は劉氏。名は煜(いく)、通称は小太郎、字は季曄(きよう)、侗庵・蠖屈居・古心堂と号す。古賀精里の三男。兄に古賀穀堂・古賀西湟、子に古賀謹一郎がいる。
梁川 星巌
江戸時代後期の漢詩人である。名は「卯」、字は「伯兎」。後に、名を「孟緯」、字を「公図」と改めた。通称は新十郎。星巌は号。
依田 竹谷
江戸時代後期の南画家。 名は瑾、字は子長・叔年。号は竹谷のほかに凌寒道人・三谷庵・盈科斎など。江戸の生まれ。
松平 楽翁
江戸後期の老中。江戸生。田安宗武の子、白河藩主松平家の養子。名は定信、別号に花月翁・白河楽翁・風月等。天明3年家督を継ぎ、天明の飢饉をのりきり藩政の改革に成功。寛政の改革を断行して幕政の立て直しに努めた。生来歌文を愛し、儒道に通じた。文政12年(1829)歿、72才。
円山 応震
江戸時代後期に活躍した絵師。円山応挙に始まる円山派の3代目。幼名は、辰三郎または辰五郎、通称は主馬之助、主水。字は中(仲)恭、別号に百里、星聚館、方壷子など。
大原 呑響
江戸後期の画家。陸奥生。本姓は今田、名は翼、字は雲卿、通称に観次・左金吾、別号に墨斎。松前藩より文武の師として聘せられ重用される。画法は張瑞図を慕い、最も山水図を能くした。また詩文琴書にも優れる。
今大路 悠山
江戸後期の画家。京都生。名は源秀。聖護院の坊官。中林竹洞に学び、山水・花鳥を能くした。のち法眼に叙せられる。嘉永2年(1849)歿、60才。
安積 艮斎
幕末の朱子学者。江戸で私塾を開き、岩崎弥太郎、小栗忠順、栗本鋤雲、清河八郎らが学んだ他、吉田松陰にも影響を与えたとされる。
鉄翁 祖門
幕末長崎で活躍した南画家である。木下逸雲・三浦梧門と共に長崎南画三筆とされる。 本姓日高氏。諱は祖門、道号を鉄翁とした。別号に明言・魚光・銕道人・蓮舟人など、室号は太素軒。
大西 椿年
江戸時代後期の画家。 寛政4年生まれ。江戸の人。幕府の浅草御米蔵の役人。渡辺南岳にまなび,のち谷文晁(ぶんちょう)の影響をうけて,山水・人物・花鳥画をえがいた。代表作に東京浅草寺の「神馬(しんめ)図」など。字は大寿。通称は行之助。別号に運霞堂,楚南,霞翁。著作に「楚南画譜」。
住吉 弘貫
江戸時代後期の画家。 住吉広行の次男。住吉派。兄広尚の死後家督をついで幕府の御用絵師となる。 土佐派の古典をいかし,紫宸殿の賢聖障子をえがく。 技巧の卓抜なことにより狩野家同様旗本に列された。 江戸出身。初名は広定,弘定。通称は内記。
渡辺 崋山
江戸時代後期の武士、画家。三河国田原藩の藩士であり、のち家老となった。通称は、諱は定静(さだやす)。号ははじめ華山で、35歳ころに崋山と改めた。号は他にも全楽堂、寓画堂など。。