日本の幕末から明治時代に活躍した絵師・日本画家。本姓は田中。幼名は光三郎。寛畝は号で、別号に雲居、橋村、木吉、詩画堂主人、達庵など。濃密な色彩と緻密な描写による花鳥画を得意とした。
福羽 美静
国学者。初名美黙、通称文三郎、号は木園・硯堂。津和野藩士美質の子。はじめ大国隆正、のち平田鉄胤に師事。国事に奔走し、維新後、廃仏毀釈・神道政策の推進に尽力。元老院議官・貴族院議員となる。著書に『古事記神代系図』がある。
三島 中洲
1831-1919年。 松山藩士、漢学者。 名は毅、字は遠叔。通称は貞一郎。 号は桐南、のち中洲。 山田方谷、斎藤拙堂に学ぶ。 維新後、判検事・宮中顧問官となる。
中根 半嶺
中根半仙の子。幕府の医学館でまなび,父の職をついで越後高田藩の侍医兼書道師範となった。 隷書を得意とし,関雪江(せつこう)とならび称される。 明治40年の日本書道会創設につくした。 江戸出身。名は聞。字は公升。
滝 和亭
南画家。江戸生。名は謙、字は子直、別号に蘭田。大岡雲峰・鉄翁祖門に学ぶ。帝室技芸員。
秋月 種樹
幕末・明治期の政治家。日向国高鍋藩の世嗣。貴族院議員、参与、明治天皇侍読。詩文に優れ、書家としても知られた。9代高鍋藩主・秋月種任の三男として生まれる。安井息軒、塩谷宕陰らに師事する。若年より英明で知られ、小笠原明山、本多静山と並んで学問界の三公子と称された。
金井 之恭
幕末期の志士、明治期の官僚、書家。通称は文八郎。字は子誠。号は金洞(きんどう)・錦鶏など。変名に金井五郎・桑原梧楼などがある。長女は弁護士で政治家の小川平吉に嫁ぐ。錦鶏間祗候。
菅原 白龍
幕末・明治の日本画家。 出羽生。 名は道雄、のち元道、別号に梵林・泰岳・日橋隠士等 家は代々修験者で白龍山梵林院の祠官。初め熊坂適山、のち富取芳斎について花鳥画を学ぶ。 山水画を能くし、日本的な南画の確立に努力した。また国典にも通じていた。
長 三洲
1833年-1895年。
幕末・明治期の漢詩人、書家。
豊後の人。
名は炗(ひかる)、字は世章。
号は三洲、蝶生、韻華、秋史、紅雪、楂客。
細川 潤次郎
1834年-1923年。
幕末の土佐藩藩士。
明治、大正時代の法制学者、教育者、男爵。
諱は元(はじめ)または潤次郎。
十洲と号した。
望月 玉泉
幕末-明治時代の日本画家。 望月玉川の子。幸野楳嶺(こうのばいれい)らと京都府画学校の創設を建議,明治13年の開校で東宗担当の教員となる。 内外の博覧会で受賞,37年帝室技芸員。 京都出身。名は重岑。通称は駿三。 作品に「雪中芦雁」「海辺千鳥」など。
杉 聴雨
山口藩士・子爵。名は重華、通称は孫七郎。詩を能くし、書画に秀でる。維新に功があり、諸官を経て宮内省御用掛・枢密顧問官・議定官に至る。大正9年(1920)歿、86才。
東久世 通禧
日本の江戸時代末期から明治時代にかけての公家、政治家。 七卿落ちで長州に逃れた尊王攘夷派公卿の1人。王政復古後は外国事務総督を務め、発足したばかりの新政府の外交折衝にあたる。神奈川府知事、開拓長官、侍従長などの要職を歴任し、後に貴族院副議長・枢密院副議長に至った。華族(伯爵)。 号は竹亭、古帆軒。
巌谷 一六
1834年-1905年
近江出身の書家、貴族院議員、漢詩人。
本名は修、字は誠卿。
特に書家として名高く、一六(一六居士)はその号で、別号に迂堂、古梅、呑沢山人、きゅう霞(きゅうか)、金粟道人などがある。
日本近代児童文学の創始者と評される巖谷小波はその三男。
楊守敬の影響を受け、日下部鳴鶴らと共に魏・晋・唐の書法を究める。
橋本 雅邦
明治期の日本画家。本名は長郷。幼名は千太郎。号は勝園。別号に、十雁斎、克己斎、酔月画生など。 雅邦は同門の狩野芳崖ともに、日本画の「近世」と「近代」を橋渡しする位置にいる画家で、芳崖と共に狩野派の描法を基礎としつつも洋画の遠近法等の技法を取り入れ、明治期の日本画の革新に貢献した。雅邦の代表作の一つである『白雲紅樹』では、従来の山水画を基にしながら、月の光と空気の透明性を微妙な色彩で表現している。
高橋 泥舟
幕末・明治の幕臣・槍術家。江戸生。槍術の大家山岡静山の弟。名は政晃、字は寛猛、通称を精一。高橋家を継ぎ、25才で講武所教授となる。浪士取扱となるが鳥羽・伏見の戦後は徳川慶喜の身辺を護衛する。山岡鉄舟は妹の夫。幕末三舟の一人。
渡辺 小華
1835-1887年。
幕末-明治時代の武士、画家。
渡辺崋山の次男。
名は諧、字は韶卿、通称を舜治。
父の門人椿椿山に画法を学び、椿山歿後は福田半江に教えを受ける。
住吉 広賢
幕末-明治時代の日本画家。 天保6年生まれ。住吉派の7代住吉弘貫(ひろつら)の養子となる。狩野友信らとともに明治11年来日したフェノロサの日本美術研究に協力した。明治16年5月30日死去。49歳。本姓は遠藤。通称は内記。
山岡 鉄舟
幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家。剣・禅・書の達人としても知られる。 鉄舟は居士号、他に一楽斎。通称は鉄太郎。諱は高歩(たかゆき)。一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。「幕末の三舟」のひとり。栄典は従三位勲二等子爵。愛刀は粟田口国吉や無名一文字。
成島 柳北
江戸時代末期(幕末)の江戸幕府・将軍侍講、奥儒者、文学者、ジャーナリスト。明治時代以降はジャーナリストとしても活動した。姪孫に俳優の森繁久彌がいる。
奥原 晴湖
幕末から明治期の画家。野口小蘋とともに明治の女流南画家の双璧といわれ、また安田老山と関東南画壇の人気を二分した。 本名は池田せつ(節)、通称せい子。はじめ石芳と号するが、のちに秋琴・珠琴・蘭瑛・雲錦・静古・星古などとした。堂号(居宅・画室)に墨吐煙雲楼・繍水草堂など。下総古河町の人。
股野 藍田
儒者。播州竜野の儒者達軒の子。名は琢、藍田は字、子玉・邀月楼主人と号する。帝室博物館総長・内大臣・宮中顧問官等を歴任し、従二位勲一等を受ける。詩書を能くし『介寿集』を編する。大正10年(1921)歿、84才。
三条 実美
日本の公卿、政治家。位階勲等爵位は、正一位大勲位公爵。号は梨堂(りどう)。変名は梨木 誠斉。 幕末には尊王攘夷・討幕派の中心的な人物であり、明治維新後は元勲の一人として右大臣、太政大臣、内大臣、貴族院議員などを歴任した。また内閣総理大臣を一時兼任している。
富岡 鉄斎
明治・大正期の文人画家・儒学者。日本最後の文人と謳われる。京都法衣商十一屋伝兵衛富岡維叙の次男として生まれる。幼名は不明。猷輔を通称とし、のちに道昴・道節と称し、明治のはじめ頃、一時名を鉄斎としたが、しばらくのち百錬に改名。字を無倦、号を鉄斎。別号に鉄人、鉄史、鉄崖など。