江戸時代前期の儒学者・朱子学者・神道家・思想家。朱子学者としては南学派に属する。 諱は嘉、字は敬義、通称は嘉右衛門。闇斎は号。「嘉」の字を二文字「垂」と「加」に分解し「垂加霊社(すいか・しでます)」という霊社号を生前に定めた。 朱子学の一派である崎門学の創始者として、また、神道の教説である垂加神道の創始者としても知られる。
熊沢 蕃山
江戸時代初期の陽明学者である。諱は伯継(しげつぐ)、字は了介、通称は次郎八、後助右衛門と改む、蕃山と号し、又息遊軒と号した。
尾形 宗謙
江戸前期の書画家・商人。京都生。尾形光琳・乾山の父。初名は主馬、字は子伯、浩斎と号、屋号は「雁金屋」。尾形家四代宗甫の末弟でその跡継ぎとなり、東門院の呉服御用を務めた。書を父及び光悦の高弟小島宗真に学び、光悦流の名として知られる。また絵は狩野派を山本素軒に学んだ。能楽や茶の湯も能くした。
木下 順庵
江戸時代前期の儒学者。名は貞幹、字は直夫、通称は平之允、号は順庵・錦里・敏慎斎・薔薇洞。私諡を恭靖と言う。
山鹿 素行
江戸時代前期の日本の儒学者、軍学者。山鹿流兵法及び古学派の祖である。諱は高祐(たかすけ)、また義矩(よしのり)とも。字は子敬、通称は甚五右衛門。因山、素行と号した。
鄭 成功
チェン チェンコン 中国明代の軍人、政治家。出身は福建省泉州市。元の諱は森。字は明儼。日本名は福松。清に滅ぼされようとしている明を擁護し抵抗運動を続け、台湾に渡り鄭氏政権の祖となった。様々な功績から隆武帝は明の国姓である「朱」と称することを許したことから国姓爺とも呼ばれていた。台湾・中国では民族的英雄として描かれており、特に台湾ではオランダ軍を討ち払ったことから、孫文、蒋介石とならぶ「三人の国神」の一人として尊敬されている。
北村 季吟
江戸前期・中期の国学者・俳人。近江の人。通称は久助、号は七松子・拾穂軒・湖月亭等。俳諧を松永貞徳に、歌学を飛鳥井雅章等に学ぶ。烏丸光広に推され幕府に仕官し、長男湖春とともに歌学方となる。法印に叙せられた。
狩野 洞雲
江戸時代前期の画家。 寛永2年生まれ。狩野探幽の養子となるが,探幽に探信,探雪の2子ができ,万治(まんじ)2年に別家。寛文7年幕府から屋敷をあたえられ,駿河台狩野家をたて表絵師の筆頭格となった。名は益信。通称は采女。
豊蔵坊 信海
江戸時代前期の僧,狂歌師。 寛永3年生まれ。山城(京都府)石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)豊蔵坊の社僧。豊蔵坊孝仍(こうじょう)の跡をつぐ。松花堂昭乗に書を,小堀遠州に茶道を,松永貞徳に俳諧(はいかい)をまなぶ。狂歌をよくし,門人に永田貞柳がいる。貞享(じょうきょう)5年9月13日死去。63歳。名は孝雄。字は子寛。別号に玉雲翁,覚華堂。
伊藤 仁斎
1627-1705年。 江戸中期の儒者。古義学派の創始者。 京都生。 名は維楨(これえだ)、字は源佐、源助。 初号は敬斎。 通称は鶴屋七右衛門。
徳川 光圀
常陸水戸藩の第2代藩主。「水戸黄門」としても知られる。 諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。また神号は「高譲味道根之命」(たかゆずるうましみちねのみこと)。水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男。徳川家康の孫に当たる。儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくった。 子孫は北茨城市中郷町の村田家が末裔とされている
悦山 道宗
明の僧。 崇禎2年8月22日生まれ。黄檗宗。明暦3年来日。木庵性瑫(もくあんしょうとう),隠元隆琦(りゅうき)に師事。のち性瑫の法をつぎ,宝永2年山城万福寺住持となる。能書家として知られた。宝永6年7月29日死去。81歳。福建省出身。語録に「悦山禅師語録」など。
貝原 益軒
江戸時代の本草学者、儒学者。 筑前国福岡藩士、黒田藩の祐筆であった貝原寛斎の五男として生まれる。名は篤信、字は子誠、号は柔斎、損軒(晩年に益軒)、通称は久兵衛。
住吉 広澄
江戸時代前期の画家。 寛永8年生まれ。住吉如慶(じょけい)の長男。大和絵住吉派の興隆の基礎を父とともにきずいた。天和(てんな)3年江戸に移住し,幕府御用絵師をつとめた。元禄(げんろく)4年法眼(ほうげん)となる。宝永2年4月3日死去。75歳。名は広純,広澄。通称は内記。作品に「洛中洛外図巻」「宇治拾遺物語絵巻」など。
北島 雪山
江戸時代前期の書家・陽明学者。黄檗僧などから文徴明の書法を学び、唐様の書風の基礎を築いた。 名は三立、雪山・雪参・花隠・蘭隠・花谿子・蘭隠立・蘭畹等と号した。肥後の人。
狩野 常信
江戸時代前期の江戸幕府に仕えた御用絵師。父は狩野尚信。幼名は三位、右近と称し、養朴・朴斎・耕寛斎・紫薇翁・古川叟・青白斎・寒雲子・潜屋・弄毫軒、篁渚山人などと号した。子に後を継いだ長男・周信、別に浜町狩野を興した次男・岑信、さらにそれを継いだ甫信がいる。
人見 竹洞
人見卜幽軒(ぼくゆうけん)の甥。林鵞峰(がほう)にまなび,幕府の儒官となる。 「本朝通鑑」の延喜以降の編修にくわわった。 京都出身。名は節。 字は宜卿。通称は友元(ゆうげん)。別号に鶴山(かくざん)。 著作に「韓使手口録」「日光参詣記」など。
岡西 惟中
江戸前・中期の俳人。因幡生。名は勝、字は赤子、通称は平太、別号を一時軒・竹馬童子・北水浪士等。歌は烏丸資広、連歌は里村昌程に学び、西山宗因に入門、『俳諧蒙求』を著わす。居を岡山から大坂に移し、医を業としながら活躍した。正徳元年(1711)歿、73才。
心越 興儔
1639-1695年。 江戸前期に来朝した中国の禅僧。杭州金華府(浙江省)の人。 延宝5年、長崎興福寺の明僧澄一道亮にまねかれて来日。 詩文、書画、七弦琴にすぐれた。 俗姓は蒋。法名ははじめ兆隠。 号は東皐。 著作に「東皐集」など。
林 道栄
江戸時代前期-中期の唐通事,書家。 寛永17年生まれ。肥前長崎の人。父は中国からの渡来人。元禄12年唐通事の上級職である風説定役にすすむ。同年,号として使用していた官梅(かんばい)を姓とする。書は即非如一(そくひにょいち)にまなび,深見玄岱(げんたい)と並び称された。名は応采。字は欵雲(かんうん)。著作に「海外異聞録」など。
住吉 広通
江戸前期の画家。住吉家の祖。幼名は光陳、通称を内記、のち薙髪して如慶と号し法眼に叙せられる。土佐光吉の門人で、その子となる。後西天皇の勅で慶恩を遠祖と仰いで一派を興し、幕府の絵師となって栄えた。寛文10年(1670)歿、72才。
清原 雪信
江戸時代前期に活躍した狩野派の絵師。久隅守景の娘で、狩野探幽は大叔父にあたる。江戸時代には狩野派随一の閨秀画家として知られた。
松尾 芭蕉
江戸中期の俳人。伊賀生。名は宗房、別号は桃青・泊船堂・芭蕉庵等。北村季吟に貞門派を学び、江戸に下って談林派の感化を受ける。のち、数度の旅を通して俳諧に高い文芸性を加えた蕉風を確立する。
林 鳳岡
江戸時代前期幕府の儒官。名は信篤、字は直民、春常と称する。後に大蔵卿法印に任じられ、弘文院学士の号を賜る