江戸時代前期から中期の俳人。蕉門十哲の一人。通称は市兵衛、または藤左衛門。名は元雅。別号は採荼庵、荼庵、荼舎、蓑翁、蓑杖、五雲亭、存耕庵。隠居して一元。
土佐 光成
江戸時代初期から中期にかけて活躍した土佐派の絵師。
山口 雪渓
江戸時代中期の京都で活躍した漢画系の絵師。名は宗雪。別号を梅庵、白隠など。 宋・元時代や室町時代から桃山時代の水墨画に傾倒した。特に雪舟と牧谿に私淑し、一字ずつもらい雪渓と号したという
高 玄岱
1649-1722年。長崎の人。
江戸時代前期の儒学者、書家・篆刻家である。
字を子新、斗瞻。
号を天漪、婺山。
通称を新右衛門と称した。
姓が深見氏であったので深見玄岱とも呼ばれる。
また玄岱は元泰とも書く。
佐々木 玄龍
江戸時代初期の書家。 名は玄龍、字は煥甫、通称は萬治郎、池庵と号す。 弟の文山も書家である。
英 一蝶
1652年-1724年
日本の江戸時代中期の画家、芸人。
本姓は藤原、多賀氏、安雄、後に信香。
字は君受。
幼名は猪三郎、次右衛門、助之進。
後に多賀朝湖(たが ちょうこ)と名乗るようになった。俳号は暁雲、狂雲堂、夕寥(せきりょう)。
名を英一蝶、画号を北窓翁(ほくそうおう)に改めたのは晩年になってからである。
画号は他に翠蓑翁(すいさおう)、隣樵庵(りんしょうあん)、牛麻呂、一峰、旧草堂、狩林斎、六巣閑雲などがある。
絵描きの才能を認められた一蝶は、藩主の命令で狩野安信に入門したものの、後に破門されたと言われる。
多賀朝湖という名で「狩野派風の町絵師」として活躍する一方、暁雲の号で俳諧に親しみ、俳人・宝井其角、松尾芭蕉と交友を持つようになる。
書道は玄竜門下に学ぶ。
狩野 探信
日本の江戸時代中期に活躍した狩野派の絵師。狩野探幽の三男で、江戸幕府御用絵師の鍛冶橋狩野家の2代目。弟に狩野探雪。
海北 友竹
1654-1728年。
江戸中期の狩野派の画家。京都生。
友雪の次男。
名は道親、のち元貞、通称は権兵衛、号は道香。
家法を守って画を能くす。
服部 嵐雪
江戸時代前期の俳諧師。幼名は久馬之助または久米之助、通称は孫之丞、彦兵衛など。別号は嵐亭治助、雪中庵、不白軒、寒蓼斎、寒蓼庵、玄峯堂、黄落庵など。松尾芭蕉の高弟。雪門の祖。
狩野 探雪
日本の江戸時代前記から中期に活躍した狩野派の絵師。狩野探幽の四男で、江戸幕府御用絵師。兄に狩野探信 (守政)。 諱は守定。幼名、観千代。通称は主殿(とのも)。別号に松嶽、孟隣斎。
森川 許六
江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。蕉門十哲の一人。名は百仲、字は羽官、幼名を兵助または金平と言う。五老井・無々居士・琢々庵・碌々庵・如石庵・巴東楼・横斜庵・風狂堂など多くの別号がある。近江国彦根藩の藩士で、絵師でもあった。
新井 白石
江戸前・中期の儒者・政治家。江戸生。 名は君美、通称は勘解由。木下順庵の門に入り学んだ。六代将軍家宣・七代将軍家継の時には幕政を補佐した。著書も多く、近世屈指の大学者と目される。 自伝に『折たく柴の記』がある。
室 鳩巣
江戸中期の儒者。武蔵国生。名は直清、字を師礼・汝玉・別号を滄浪。初め金沢藩に仕え、のち京都に遊び木下順庵に師事。新井白石と並んで英才の誉れ高く、また白石の推薦で幕府の儒官となり、経学・文章共に優れた大儒となる。著書多数。
細井 広沢
江戸中期の書家・儒者。京都生。名は知慎、字は公謹、別号に玉川等。儒学を坂井漸軒に、書を北島雪山に学び、初期の唐様書道の大御所であった。また兵学・歌道等諸学を修めて一家を成す。享保20年(1735)歿、78才。
尾形 光琳
江戸前・中期の画家・工芸意匠家、琳派の大成者。京都生。宗謙の次男、乾山の兄。名は惟富・伊亮・方祝、幼名は市之丞、別号に道祟・寂明・長江軒等、道号を日受。狩野派の山本素軒に学び、また本阿弥光悦・俵屋宗達に私淑してその作風の復興を志し、装飾的で華麗な表現の世界を築く。晩年は尾形乾山の陶器の絵付も手がけ、工芸意匠にも優れた作品を残した。代表作に「燕子花図屏風」「紅白梅図屏風」「八橋蒔絵硯箱」などがある。
佐々木 文山
1659-1735年。 江戸中期の書家。 名は襲,淵竜。 号は臥竜,墨華堂。通称は百助,文山は字。 唐様に加え,朝鮮系の書も学び,篆,隷,楷,行,草の五体すべてを得意とした。
大石 良雄
江戸時代前期の武士。播磨国赤穂藩の筆頭家老。赤穂事件で名を上げ、これを題材とした人形浄瑠璃・歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』で有名となる。 良雄は諱で、通称は内蔵助。一般にはこの大石 内蔵助(おおいし くらのすけ)の名で広く知られる。
狩野 周信
江戸中期の画家。木挽町狩野家三世。常信の長男、岑信の兄。幼名は生三郎、初名は右近、泰寓斎・如川等と号する。父の後を継いで幕府の絵師となり、法眼に叙せられ中務卿と称する。
宝井 其角
江戸時代前期の俳諧師。 本名は竹下侃憲(たけした ただのり)。別号は螺舎(らしゃ)、狂雷堂(きょうらいどう)、晋子(しんし)、宝普斎(ほうしんさい)など。
水間 沾徳
江戸時代中期の俳人。本名,友兼。別号,沾葉,合歓堂。江戸の人。内藤露沾の門。点取俳諧を盛んにし,其角没後その洒落風を継ぎ,江戸俳壇の中心となった。門人に赤穂義士の大高子葉 (源吾) がいる。編著『一字幽蘭集』,『沾徳随筆』,『余花千二百句』 ,『合歓堂家集』。
三宅 尚斎
江戸中期の儒者。播磨明石生。名は重固、雲八郎・儀左衛門・丹治と通称する。晩年の山崎闇斎に学ぶ。著書は『黙識録』『祭祀来格説』『為学要説』等
尾形 乾山
江戸時代の陶工、絵師。名は惟充。通称は権平、新三郎。号は深省、乾山、霊海、扶陸・逃禅、紫翠、尚古斎、陶隠、京兆逸民、華洛散人、習静堂など。一般には窯名として用いた「乾山」の名で知られる。
小川 破笠
江戸時代の俳人、漆芸家。また肉筆浮世絵を描いたことでも知られる。 英一蝶らと同じ伊勢国の人といわれている。江戸の生まれという説もある。本名は小川尚行といわれている。別名を金弥、後に平助。俳号は宗羽(宗宇、宗有)。小川観、笠翁、夢中庵、卯観子、子蝉、英一蝉とも号す。
各務 支考
1665-1731年。 江戸時代前期の俳諧師。蕉門十哲の一人。 村瀬吉三郎の子。 別号に東華房、西華房、獅子庵などがある。