江戸中期の儒者。徳川綱吉の侍医方庵の子。江戸生。名は双松、字は茂卿、別号に蘐園等。林春斎・林鳳岡に学ぶ。のち柳沢吉保に用いられ、古文辞学を大成した。また私塾蘐園を開いて多くの門弟を育てた。著書は『論語徴』『蘐随筆』『政談』等多数。
住吉 広保
江戸時代前期-中期の画家。 寛文6年生まれ。住吉具慶(ぐけい)の子。住吉派。幕府の御用絵師。寛延3年5月28日死去。85歳。初名は広芬(ひろおき)。通称は内記,内蔵允。法名は至石。
百拙 元養
江戸時代の画僧。文人画風の水墨画を善くした。 俗姓は原田。法諱を元養。 一時元椿としたが再び元養とし、道号を百拙と称した。雅号に釣雪・葦庵叟・葦庵山人など。京都の人。
伊藤 東涯
江戸中期の儒者。京都生。伊藤仁斎の長男。名は長胤・源蔵、別号を慥々斎。父に儒学を学び、その学を継承して堀川学風を大成する。新井白石・荻生徂徠らと親交が篤く、また奥田士享・篠崎東海ら多くの子弟を育成する。著書は『古学指要』『弁疑録』『古今学変』等がある。
梁田 蛻巌
江戸中期の儒者。武蔵生。勝秀の子。名は邦彦、のち邦美、字は景鸞、亀毛と号する。人見鶴山・新井白石に学び、また室鳩巣・三宅観瀾らと親交があった。程朱の学を修め、詩も能くする。
高田 敬輔
江戸中期の画家。近江日野生。名は隆久、初め徳右衛門と称す。別号に、眉間に疣があることから眉間豪翁、また竹陰斎などを用いる。画を狩野尚真・僧古礀に学び、法眼に叙せられる。京摂に遊び、五十嵐浚明と並び称された。水墨画を得意とし、また仏画も能くした。
土佐 光祐
江戸中期の土佐派の画家。光成の子。幼名は藤満丸、初名は光高、通称を左兵衛尉。正六位下左兵衛将監に至り、剃髪して常心と号した。人物花鳥を能くし、仙洞御所で御前揮亳をなした。
狩野 永叔
江戸中期の画家。狩野家九代。時信の男。幼名は七三郎、名は敏信、のち明信、主信と改める。法号は瑞翅斎澹然居士。画法を父に学び、祖父安信の画風を受ける。幕府の絵師となり法眼に叙せられた。
祇園 南海
江戸時代中期の画家。名は瑜 (ゆ) ,字は伯玉,号は南海,蓬莱など。祇南海ともいう。紀州藩医祇園順庵の長子。木下順庵の門人で特に詩文にすぐれる。元禄 10 年父の跡目を継ぎ,儒官として 200石の知行を受けたが,同 13年不行跡により謫居を命じられる。宝永8 年儒官に再任され,のち藩校開設にも参加。『八種画譜』『芥子園画伝』などを通じて,中国明,清の絵画を慕い,日本の南画の先駆者となる。池大雅らに影響を与えた。
太宰 春台
江戸時代中期の儒学者・経世家。「春台」は号で、名は純、字は徳夫、通称は弥右衛門。また、紫芝園とも号した。
服部 南郭
江戸中期の儒者。京都生。名は元喬、字は子遷、別号に芙蓉館、通称を小右衛門。詩文に長じ『南郭集』は初編より四編に至り四十巻世に行われた。また絵画に巧みで、父の感化により和歌をも能くした。著書に『大東世語』『灯下書』『儀礼図抄』『十八史略』等。
渡辺 始興
江戸中期の画家。近衛家の臣。京都生。通称は求馬。初め狩野尚信風の絵を画いていたが、のち尾形光琳に従った。山水・花卉・人物を能くした。
白隠 慧鶴
臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧である。 諡は神機独妙禅師、正宗国師。
伊藤 介亭
江戸時代中期の儒者。 伊藤仁斎の3男。父や異母兄の伊藤東涯にまなぶ。叔父伊藤進斎の家をつぐ。享保11年摂津高槻藩藩主永井直期(なおざね)にまねかれ儒官となる。書にもすぐれた。京都出身。名は長衡。字は正蔵。別号に謙々斎。
久隅 守景
江戸前期の画家。京都生。通称は半兵衛、号は無下斎・一陳翁。探幽門下の四天王と称せられる。雪舟に私淑した線描を効果的に用いて田園生活など実景に取材した画題を描き、優れた創造性を発揮した。山水・花卉・人物を能くした他、晩年加賀前田家に仕えて九谷焼の陶画を描き「守景下絵」として珍重された。
亀田 窮楽
江戸中期の書家。京都生。名は曳尾、通称は久兵衛、別号に無悶子。書を能くして一家を成し、また絵も巧みであった。初め鍛刀を職業としていたが、のちは風雅を楽しむ。性格は洒脱で、名利を超然とした。宝暦8年(1758)歿。
大鵬 正鯤
1691-1774年。
中国,清の黄檗僧で長崎派の画家。
本姓は王、名は正鯤。
号は笑翁。
享保6年に来朝し、長崎の福済寺住持となり、黄檗山萬福寺の法席を継いだ。
力強く品格の高い墨竹図で有名。
望月 玉蟾
江戸時代中期の日本画家。望月派の派祖。 名は重勝、玄。通称、藤兵衛、興五郎。字を守静。 号に玉蟾、玉仙、玉庵、静庵など。
伊藤 蘭嵎
江戸時代中期の儒学者。名は長堅、字は才蔵、蘭嵎と号す。他の号として、啓斎・六有軒・柏亭・抱膝斎がある。私諡は紹明先生。
平林 静斎
江戸時代中期の書家。 元禄年生まれ。江戸室町の帳屋鍵屋清左衛門の子。12歳で細井広沢の門にはいり,草書,隷書をまなぶ。のち一家をなし,門人二千余人といわれた。佐藤直方について儒学をおさめた。宝暦3年8月21日死去。58歳。名は惇信(あつのぶ)。字は明義。通称は庄五郎。別号に桐江山人。
竺庵 浄印
清の僧。 黄檗宗。享保8年長崎興福寺の杲堂元昶(こうどうげんちょう)の招きで来日し,同寺の住職となり,元昶の法をつぐ。19年山城万福寺13世となる。元文4年幕命により伏見海宝寺に退隠。梅隠と号して水墨画をえがいた。湖州出身。俗姓は陳。
狩野 栄川
元禄9年8月16日生まれ。狩野周信(ちかのぶ)の長男。享保(きょうほう)13年父の跡をうけ,木挽町(こびきちょう)狩野家をつぐ。法眼(ほうげん)。享保16年1月9日死去。36歳。名は古信。通称は庄三郎。
賀茂 真淵
江戸時代中期の国学者、歌人。通称三四。真淵は出生地の敷智郡にちなんだ雅号で、淵満(ふちまろ)とも称した。 荷田春満、本居宣長、平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされ、その門流を「県居(あがたい)学派」、あるいは「県門(けんもん)」と称した。
彭城 百川
江戸時代中期の南画家。 服部南郭、祇園南海、柳沢淇園とともに日本南画の祖であり、日本で初めて本格的な中国南宗画様式による山水画を描いた画家とされる。 画人として法橋に叙されている。また俳人としても活躍した。