江戸時代中期の書家である。 名は養、字を仲頤、号は陶斎、他に息心居士、枸杞園、清嘩閣等がある。長崎生まれ。 陶斎は書画、篆刻に優れた。はじめ禅僧 竺庵より唐風の書法を習い、やがて文徴明や趙孟頫に私淑し、晩年は米芾に傾倒した。
江村 北海
江戸時代中期の儒者、漢詩人。名は綬。 字は君錫、通称は伝左衛門、北海と号す。 福井藩の儒者・伊藤竜洲の第二子。兄は伊藤錦里、弟は清田儋叟。
祇園 尚濂
江戸時代中期の儒者。 祇園南海の次男。紀伊和歌山藩士。38歳のとき不行跡を理由に城下を追われ,13年後に帰参,55歳で藩の儒官となる。漢詩と梅の水墨画をよくした。寛政3年12月14日死去。79歳。字は師援。通称は孫三郎,余一。号は餐霞,鉄船。
龍 草廬
江戸時代後期の漢詩人である。 姓は武田。名は公美(ときのり)。字は君玉。通称は彦次郎、後に衛門とした。草廬は号である。一時期、名は元亮に、宇は子明にしたが、元に戻した。京都の人。儒学者・龍玉淵は長男。
澄月
江戸中期の歌僧。備中(びっちゅう)の人。号、垂雲軒・酔夢庵。京都岡崎に住む。寛政期の和歌四天王の一人。著「垂雲和歌集」「澄月法師千首」など。
新井 白蛾
江戸時代中期の易学者,儒者。 菅野兼山に儒学をまなび,のち京都で易学を研究して名をなす。 晩年加賀金沢藩につかえ,藩校明倫堂学頭となった。 江戸出身。 名は祐登。字は謙吉。通称は織部。 別号に黄洲,古易館,竜山。 著作に「古周易経断」「白蛾秘伝書」など。
宋 紫石
江戸時代中期の画家。長崎で熊代熊斐・清人画家宋紫岩に画法を学び、江戸に帰り宋紫石を名乗る。沈南蘋の画風を江戸で広め当時の画壇に大きな影響を与えた。山水・花卉に優れる。江戸の人。 本名は楠本幸八郎。字は君赫または霞亭。紫石のほか雪渓・雪湖・宋岳などと号した。
与謝 蕪村
江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章。通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」、「夜半亭(二世)」があり、画号は「春星」、「謝寅」など複数ある。
川上 不白
1716-1807年。 江戸中期の茶の宗匠。紀伊国新宮の人。 表千家の7世如心斎の門人。 紀伊国水野藩士川上五郎作の次男。 茶名は宗雪、別号を黙雷庵・蓮花庵、俳号を不羨庵。 師命を受け、江戸に千家の茶を広め、その門流は江戸千家とよばれた。
伊藤 若冲
近世日本の画家の一人。江戸時代中期の京にて活躍した絵師。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事がある[3]が、その使用例は見出されていない。斗米庵(とべいあん)、米斗翁(べいとおう)、心遠館(しんえんかん)、錦街居士とも号す。
宮崎 筠圃
江戸時代の儒家,画家。名は淳,奇,字は子常,通称は常之進,号は 筠圃,尚友。 18歳のとき京都に出て伊藤東涯,伊藤蘭嵎に儒学を習い,かたわら趙孟 頫 (ちょうもうふ) に私淑して書をよくし,またもっぱら墨竹画を描いて浅井図南,御園意済,山科宗安とともに平安四竹と賞された。
狩野 英信
江戸中期の画家。中橋狩野家九代目主信の次男。兄憲信の養子となり十一代を継ぐ。通称は源七郎、別号を如適斎。兄憲信の跡を継ぎ徳川幕府の奥絵師として最高の地位で徳川家治公の寵遇を受ける。宝暦13年(1763)歿、47才。
中山 高陽
江戸時代中期の日本の南画家、書家、漢詩人。 土佐国堺町(現高知県高知市堺町)の豪商「阿波屋」の次男として生まれる。元の姓は中山田氏で、香宗我部氏の子孫とされる。名は象先(ぞうせん)、土佐仲延沖(とさちゅうえんちゅう)、延冲(のぶおき)。字は、汝玄、子達、延冲(のぶおき)、子和。幼名は松之助、のちに清右衛門。通称、阿波屋清右衛門。号は、高陽山人(こうようさんじん)、玩世道人(げんせいどうじん)、酔墨山人(すいぼくさんじん)、酔墨子(すいぼくし)、松石斎(しょうせきさい)など。
建部 凌岱
江戸中期の俳人・画家。弘前生。名は孟喬、別号に涼袋・寒葉斎・綾足等。俳諧を志多野坡に、画法を熊斐・費漢源・李用雲に学ぶ。また賀茂真淵・本居宣長に就いて国学を修め、晩年は片歌の唱道に努める。安永3年(1774)歿、56才。
大島 蓼太
江戸時代の俳人。本姓は吉川。諱は陽喬、通称は平助、雅号は雪中庵、里席、宜来、老鳥、豊来、空摩など多数。与謝蕪村、加舎白雄などと共に中興五傑の一人。
大典 顕常
1719-1801年。
江戸時代中期の禅僧、漢詩人。
近江の生まれ。
宇野明霞門人。
号は蕉中・梅荘・竺常・太真。
著書に「小雲楼論語鈔説」「小雲楼詩書鈔説」など。
渡辺 湊水
江戸時代中期の画家。 享保5年生まれ。長崎で南蘋派の画をまなび,花鳥画を得意とした。渡辺玄対(げんたい)を養子とする。明和4年8月3日死去。48歳。江戸出身。名は従。字は周本。通称は甚蔵。画集に「辺氏画譜」。
赤松 滄洲
江戸時代中期の儒学者。名は鴻、字は国鸞。沿洲・静思翁と号す。通称は大川良平。父は舟曳通益。
月僊
1721-1809年。 江戸時代後期の画僧。尾張の人。 姓は丹家,名は玄瑞,字は玉成。 別号に浄蓮社祥誉、寂照主人など。 江戸へ出て増上寺に入り月僊の号を与えられる。 絵は雪舟や中国の元、明の画風を学び、さらに円山応挙,与謝蕪村に私淑。
海眼 浄光
江戸時代中期の黄檗僧、画僧。長崎派の花鳥画を能くした。 道号は玄峰、恵達、のち海眼。法諱は淨要、淨光、淨博。画号は鶴亭が有名だが、ほかに如是道人、如是主人、米寿翁、白羊山人、南窓翁、墨翁、五字庵などがある。
高 芙蓉
江戸時代中期の篆刻家。 甲斐の医師の子。20歳のころ京都にいき儒学をまなび,刻印をはじめる。のち秦や漢の古印を手本とした作風で篆刻界を一変させ,印聖とよばれ本姓は大島。名は孟彪。字は孺皮(じゅひ)。通称は逸記。別号に氷壑山人,三岳道者など。
片山 北海
江戸時代中期の日本の儒者、漢詩人である。 京都の江村北海、江戸の入江北海とともに三都の三北海と称された。 名を猷、字は孝秩、通称を忠蔵、号は北海の他に堂号でもある孤松館がある。 大坂で混沌詩社などを興して、頼春水、尾藤二洲、古賀精里、木村蒹葭堂など多くの優れた門弟を輩出した。
池 大雅
1723-1776年。
江戸中期の南画家。京都の人。
名は勤、無名(ありな)、字は公敏・子職・貸成。
通称を秋平、別号に烏滸釣叟、霞樵、竹居など。
池野 秋平と普段は名乗った。
柳沢淇園(きえん)や祇園南海に師事。
代表作「山水人物図」「十便帳」などがある。
日本画の伝統と西洋絵画の表現法をとり入れて独自性と風格に富んだ画風を形成、日本南画の祖と呼ばれた。
小沢 蘆庵
江戸時代中期の歌人、国学者。父は小沢喜八郎実郡(実邦ともいわれる)。一時、本庄家に養子に入り本庄八郎と称した。名は玄仲(はるなか)、玄沖。通称は帯刀。別号は観荷堂・図南亭・孤鴎・七十童・八九童。難波で生れ、京都に住んだ。平安和歌四天王の一人。